当館について
ABOUT SEN-OKU HAKUKOKAN MUSEUM

建築について

泉屋博古館の二つの展示館と前庭、中庭は、目の前に横たわる東山と調和しながら、心静かに芸術と向き合うための空間を作り出しています。

1号館・青銅器館1970(昭和45)年小角亨(日建設計)設計

世界的にも類のない中国の古代青銅器のための建築-青銅器館。この建築は、1970年の大阪万博開催をきっかけに誕生しました。建設にあたっては、青銅器の美と出会う物語性、万博への来賓をもてなすための優美性、そして住友春翠が邸宅を設けたゆかりの地であるという象徴性が求められました。ただ、立地する東山は、風光明媚である反面、景観規制が極めて厳しい場所です。建築に求められた理念と規制との間で設計者が葛藤した様子を、建物の構造や意匠からうかがうことができ、この葛藤の痕跡こそが青銅器館の魅力につながっているのです。1 / 11
装飾を抑制した外観で、コンクリートやガラスを多用したモダニズム建築です。中央の尖塔を中心に四つの展示室が配置され、らせん状に上昇していきます。まるで風車の形のようにかみ合っています。屋根が青っぽく見えるのは銅葺きのため。銅の製錬業から家を興した住友らしい意匠です。2 / 11
青銅器館へのプロムナードは、60~70年代に京都の街から姿を消した市電の敷石。この建物が建設された当時の街の記憶を呼び起こします。3 / 11
東山山麓の地形の高低差を生かした階段が建築内部へと私たちを誘います。高低差を利用することで、階数を抑えながらも美術館活動に必要な空間を確保することに成功し、風致地区の厳しい高さ制限の問題も解決しています。4 / 11
階段を登ると、目に飛び込んでくるのは、比叡山から如意ケ嶽(大文字山)へと連なる東山の山並みと青々しい中庭。ガラス張りのロビー空間は、別荘に迷いこんだかと思うほどの開放感で、みなさまをお迎えします。5 / 11
入口から続くカーブは、階段ホールの天窓ドームを中心にらせんを描いています。らせんに導かれて、3000年前の中国へタイムトラベルに出かけることにいたしましょう。6 / 11
展示室の天井は、ゆるやかな曲面を描き、青銅器を包みこむよう。青銅器が用いられていた祭祀・呪術の世界を設計者がイメージし、HPシェル構造を駆使して不思議な天井のカーブをつくり上げました。窓がないことも手伝って洞窟のような印象を受けます。7 / 11
青銅器を鑑賞するための静寂な展示室は四部屋続きます。最後の一部屋までたどり着くとそこにだけ小さく窓が切り取られています。覗くと東山が。古代中国への時間旅行は終わりを迎え、私たちは現代の京都へと引き戻されるのです。8 / 11
大きなガラス壁から外光がたっぷり降り注ぐ休憩室。芸術鑑賞後の談笑を楽しむ清々しい空間は、住友春翠も憧れた中国文人たちの明窓浄几の理想を、現代建築に取り入れたものと評価できるでしょう。9 / 11
建物外周に沿って立ち、上層階を支えるコンクリート柱。ですが、青銅器館は階段ホールの壁面自体が大黒柱として上層の展示室を支えているため、コンクリート柱はあくまで補助にすぎません。だからこそ、設計者は柱頭部に金属を用いて飾りをつくりました。その装飾が、かえって西洋の古典建築のオーダーを私たちに想起させ、この柱こそが上層階の重みを全て受け止めているのだと錯覚させるユニークなデザインになっています。10 / 11
コンクリートの上層階が、細い柱とガラス壁で支えられているように見えるからでしょうか。あるいはらせん状に展示室が上昇していく構造が外観にも現れているからでしょうか。建物に不思議な浮遊感が漂います。
中国文明の象徴にして未だ謎多き青銅器-それを現代建築の立場から表象した唯一無二の存在として泉屋博古館青銅器館は今日も東山にたたずみます。11 / 11
青銅器館設計者について

設計者の小角亨氏は、日建設計に入社後、青銅器館(1970年)を皮切りに倉吉博物館(1974年)、大阪市役所(1984年)などを設計し、日建設計大阪事務所長をつとめました。日建設計は、住友本店臨時建築部を源流とし、住友春翠が大阪府に寄贈した中之島図書館をはじめ、淀屋橋の住友ビルディング(三井住友銀行大阪本店)など住友と縁の深い建築を手がけてきた歴史を有します。泉屋博古館の建築は京都本館だけでなく東京館も日建設計による作品です。

2号館(企画展示館)1986(昭和61)年大泉研二(日建設計)設計

青銅器館竣工から約15年後、絵画や茶道具などの展示にも対応するため、北隣に新たに企画展示室館を建設しました。複雑な階層を建築内部にもつ青銅器館とは異なり、シンプルな平屋建て。屋根の形状も複雑にうねる曲線主体の青銅器館とは対照的に、直線的な傾斜が大きくひらく簡潔なもの。1 / 2
しかし、青銅器館との対照性ばかりを企画展示室棟が狙っていたわけではありません。ちょうど古典をもとに新たに芸術作品が生み出されていくように、例えば側壁をレンガタイルと巨大なガラス窓で構成するデザインや、木目が手描きされたコンクリート材など随所に青銅器館へのオマージュが見られます。2 / 2

中庭1986(昭和61)年11代小川治兵衞作庭

古くから京都の庭園に借景として取り入れられてきた東山。その自然美の発見と鑑賞の歴史を踏まえ、庭師・11代小川治兵衞が中庭を作庭しました。東山を正面視する堂々たる構成は、南禅寺周辺に点在する7代小川治兵衞の作庭による近代日本庭園群の東山を借景とした景観を、現代に再生させたものと評価できます。また、中央の井戸は「泉屋」を屋号に掲げた住友の象徴的存在として、今も清水をその底に湛えています。1 / 1

前庭「泉屋博古の庭」2005(平成17)年11代小川治兵衞作庭

駐車場と鹿ヶ谷通りに挟まれた、細長い空間に「泉屋博古の庭」と命名された庭があります。苔むした起伏とせせらぎによって奥行きを出したこの庭は、まさに京都らしい空間利用といえるでしょう。せせらぎの水源として湧き出る泉は、「泉屋」を屋号とする住友にふさわしく、その形も住友を象徴する「井桁」をイメージしています。庭に高くそびえる檜は、住友の家業である銅製錬を支えた愛媛県別子銅山から移したもので、住友の象徴がちりばめられた庭になっています。1 / 1