泉屋博古館は住友コレクションをはじめとした美術品を保存、研究、公開する美術館です。
コレクションは中国古代青銅器をはじめ、中国・日本書画、西洋絵画、近代陶磁器、
茶道具、文房具、さらには能面・能装束など幅広い領域にわたります。
現在は3,500件(国宝2件、重文19件、重要美術品60件を含む)を超える作品を所蔵し、
京都と東京の2都市でそれぞれに地域の特性も活かしながら展覧会を開催し、
住友コレクションの魅力を発信する施設として運営しています。
住友春翠について - 湧き出づる、美の夢
コレクションの多くは、住友家第15代当主・住友吉左衞門友純
(号 : 春翠、1864~1926)によって明治時代中頃から大正時代にかけて集められたものです。
現在の住友グループの礎を築いた春翠は、家業の銅山経営をはじめ、様々な事業の拡大と近代化を推し進める一方で、芸術文化にも高い関心を示し、1900(明治33)年に大阪府へ図書館の建設費用と図書購入費を寄付するなど、文化的な社会事業にも大きな足跡を残しました。
一方で春翠は茶の湯や能楽といった日本の古典芸能を嗜み、邸宅の床の間には四季の移ろいを寿ぐ日本画を飾るなど、財界きっての数寄者として風雅に遊びました。また中国文人への憧れから、文房具に囲まれた書斎で煎茶や篆刻を愉しみました。
さらに実兄である西園寺公望の影響を受け、積極的に同時代の洋画家たちを支援した春翠は、自身も風光明媚な須磨の海岸に洋館を建て、当時としては先進的な洋式の暮らしを楽しみました。このように多岐にわたる文化へ関心を寄せた春翠は、古今東西の優れた美術品を収集しました。春翠が買い求めたこれらの作品は、今日の住友コレクションの母胎となっており、いずれも春翠の典雅で清淡な美意識が流れています。
青銅器について - コレクションの源泉
住友コレクションの中心は、国内外で高く評価されている青銅器のコレクションです。当館は1960(昭和35)年に住友家より500点を超える青銅器や鏡鑑の寄贈を受けて設立しました。これら古銅器類の収集は煎茶趣味をきっかけとしましたが、家業の産銅にちなむこともあって、春翠が最も力を入れて取り組んだ結果、質と量ともに世界有数の青銅器コレクションとして知られるようになりました。
住友の青銅器は、造形的に優れた作品だけではなく、歴史史料として貴重な作品も多く、体系的かつ学術的にも非常に高い価値をもちます。
春翠はこれらのコレクションを秘蔵するのではなく、展覧会をはじめさまざまな機会に広く公開して青銅器に対する認知度を高めました。さらには『泉屋清賞』や『増訂泉屋清賞』といった豪華図録の刊行を通じて、研究の分野にも大きく寄与しています。
春翠の文化を介した社会貢献の姿勢や理念は後世へと受け継がれ、現在の美術館運営におけるベースとなっています。
住友コレクションの多様性 - 博く流れる、美の水脈
春翠以外のコレクションでは、春翠以前から住友家に伝来した調度品があります。その多くは残念ながら散逸していますが、現存する作品は各時代の優品であると同時に、断片的ながらも住友家400年の営みを伝えるものとして、コレクションのなかで確かな位置を占めています。
また春翠の長男である寛一(1896~1956)が大正期に収集したコレクションは、八大山人や石濤など明末清初を彩る中国絵画の名品や、日本近代洋画を代表する岸田劉生の作品を含むなど、コレクションに新たな地平を開きました。
そしてアララギ派の歌人としても知られる16代当主・友成(1909~93)は、パブロ・ピカソやピエール=オーギュスト・ルノワールなど20世紀を代表する洋画家の作品、そして同時代の日本人画家の作品を収集し、コレクションに一層の彩りを添えています。
ひとつひとつの作品は個々人の審美眼によって選ばれたもので、時代もジャンルも異なりますが、コレクション全体を見渡せば、住友の美意識が水脈になって滔々と流れているように、それぞれが響き合い、清らかで気品に満ちていることに気がつきます。
美術館について - 「美の泉」のほとりで
京都の泉屋博古館は春翠が別荘として求めた鹿ヶ谷の地に設立され、東山の穏やかな山容を望む風光明媚な環境の中でコレクションを公開しています。
また東京館はビル立ち並ぶ六本木の地にありながらも、静寂で緑が豊かな環境の中に佇んでいます。