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明治の変革期に立つ住友のリーダー 広瀬宰平と伊庭貞剛の軌跡
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2005.11.23水2005.12.18日
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泉屋博古館分館
21世紀は、経済のグローバル・スタンダード化と、地球規模の環境維持が大きな問題となっています。経済発展と自然環境の調和が世界的に問われているのです。今からおよそ100年前、四国の別子銅山(現、愛媛県新居浜市)において、この問題に真正面から取り組んだ明治変革期の実業家がいました。それが広瀬宰平と伊庭貞剛です。
広瀬は19世紀の欧米化の荒波に対し、「問わんと欲す国家経済のこと」と宣言し、実業の世界から国家の発展を希求、別子銅山の近代化産業革命に成功しました。しかし、19世紀末における別子銅山の急激な近代化は山林の濫伐、および山麓の新居浜製錬所の煙害問題を引き起こしました。
これに直面した伊庭は、「君子財を愛す、これを取るに道あり」を座右の銘とし、企業は利益を使命とするが、人の道にそって行うべきという方針を示しました。彼は製錬所そのものを新居浜沖合20キロ、瀬戸内海の無人島「四阪島」へ移転し、煙害問題を根本的に解決しようとしました。いっぽう荒れ果てた別子の山々には、毎年100万本を超える植林を敢行し、もとの青々とした山林に戻しました。ただし、煙害問題そのものは解決までその後34年の歳月を要しましたが、その間伊庭の遺志を受け継ぎ、脱硫装置という技術の力でこれを克服しました。2005年は、その四阪島製錬所の操業が開始されて100年目に当たります。
本企画展ではこの機会に、産業と自然との調和、CSR(企業の社会的責任)など今日的テーマを考えるにあたり、明治の変革期に活躍した広瀬宰平と伊庭貞剛の思想と行動を紹介し、その足跡をたどるものです。